政治法制史:近現代

鈴木内閣が終戦に果たした役割を説明せよ。

戦争終結を模索し、御前会議での天皇の裁断を受けて、本土決戦など強硬な主張を退け、一時は黙殺したポツダム宣言を「国体護持」を最大の条件としながら受諾し,太平洋戦争を終結させた。


降伏文書調印について簡潔に説明せよ。

戦艦ミズーリ号上で行われ、日本側は天皇と政府を代表して重光葵外相、大本営を代表して梅津美治郎参謀総長が署名した。日本軍の無条件降伏、ポツダム宣言の忠実な履行、日本の統治権が連合国最高司令官(SCAP)の下に従属すること、などが降伏文書の内容である。


マッカーサー三原則を説明せよ。

天皇制の存族・戦争の放棄・封建制の廃止。


日本国憲法の制定過程を説明せよ。

政府の保守的な改正案を拒否した GHQ の、天皇制存続・戦争放棄などを原則としたマッカーサー草案(民政局の次長であったケーディスが作成)を加筆して和訳したものを「帝国憲法改正草案要綱」として政府原案とし、さらにこの草案を条文化して最終的な政府原案である「憲法改正草案」を作成し、第 90 帝国議会に提出し、大日本帝国憲法の改正条項にそって、改正案を衆議院と貴族院で生存権の追加などを修正可決したのち、日本国憲法として制定した。


日本国憲法第9条が規定された背景を説明せよ。

GHQ は天皇制を占領政策に利用しようとしたが、連合国の中には、日本の軍国主義復活を懸念し、天皇制存続に反対する国もあった。それらの国々を納得させるために、戦争放棄・戦力不保持を定め、日本政府が再び戦争をしないことを示した。

東久邇宮稔彦内閣を説明せよ。

占領軍の進駐、降伏文書の調印、軍の解体、行政機構の平時化など終戦処理は順調に進んだものの、国民に対し「一億総懺悔」を説いて戦争責任を曖昧にし、国民の政治批判をかわそうとするなど、それ以外の施策は国体護持を基本とするものであった。GHQが治安維持法等弾圧法規の撤廃、政治犯の釈放などの本格的な民主化指令=人権指令を出すと、それに対応できず総辞職した


人権指令の内容とそれに対する政府の対応を説明せよ。

思想警察の廃止、内務大臣・警察首脳・思想警察関係者の罷免、市民の自由を弾圧する法規の全廃。東久邇宮稔彦内閣は人権指令を内閣への不信任と捉え、それに対応できず総辞職した。


天皇人間宣言の内容と理由を説明せよ。

昭和天皇自ら、天皇が現御神であり、日本民族が他民族に優越することや八紘一宇の理念(架空なる観念)を否定した。昭和天皇の免責と天皇制の存続を意図した。

「天皇人間宣言」の全文→

官報號外 昭和21年1月1日 詔書 [人間宣言](テキスト) | 日本国憲法の誕生 (ndl.go.jp)

幣原喜重郎内閣を説明せよ。

マッカーサーは幣原に、婦人参政権、労働組合の奨励、教育・司法・経済の民主化である五大改革指令を命じた。以後、年末までに軍国主義的教員の追放、国家と神道の分離、財閥解体、農地改革などの重要指令が次々とGHQから幣原内閣に出された。天皇の人間宣言、憲法問題調査委員会(松本烝治国務相)による明治憲法の微温的修正を通して天皇制の温存に苦慮するが、後者はGHQの拒否にあい、GHQ草案を土台とした憲法改正草案要綱の公表となった。


GHQによる憲法草案に影響を与えた日本側のさまざまな試みを説明せよ。

高野岩三郎らによる民間の憲法研究会が主権在民と立憲君主制を採用した改正案である「憲法草案要綱」を作成していた。この案は日本国憲法の象徴天皇制と基本的に同じ考えを含んでいて、マッカーサー草案にも少なからず影響を与えた。

日本共産党による、天皇制の廃止などを主張した「新憲法の骨子」や日本社会党による、主権は天皇を含む国民協同体としての国家にあると主張した「新憲法要綱」なども発表された。

GHQが草案の直接起草に踏み切った理由を説明せよ。

GHQは,幣原内閣の設けた憲法問題調査委員会の作成した「憲法改正要綱」(松本私案)が天皇の統治権を強く残す保守的な内容で、万世一系の天皇が統治権を有することを原理とする国体護持を図ろうとするものだったことに不満を抱いた。また、占領政策の最高決定機関である極東委員会がすでに発足しており,活動が本格化する前に,アメリカ主導の占領政策を既成事実化させようとした。


上記の草案をもとに政府が作成した草案を説明せよ。

マッカーサー三原則を踏まえたマッカーサー草案をもとに「帝国憲法改正草案要綱」を発表した。


芦田修正を簡潔に説明せよ。

憲法改正草案を審議する日本政府憲法改正小委員会において委員長の芦田均が第九条二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を挿入する修正した。これによって自衛権の保持や国際安全保障への参画が可能になったとする見方もある。


GHQ が天皇を戦犯容疑者に指定しなかった理由を説明せよ。

天皇制廃止による混乱を避け、天皇制を占領支配に利用しようとし、天皇自身も占領政策への積極的協力を申し出た。


GHQ の機構を簡潔に説明せよ。

参謀部、民政局、経済科学局、民間情報教育局(プレス・コードなども制定)など。


アメリカの単独占領が可能だった理由を説明せよ。

極東委員会が占領政策の最高決定機関であり、そこでの政策決定を GHQ が対日理事会と協議しつつ日本政府に指令する形式であったが、議長国のアメリカは拒否権のほか中間指令権も保持していたため、事実上アメリカの単独占領 ※対日理事会は諮問機関であった。


極東国際軍事裁判の各国の役職と意見の違いを説明せよ。

首席検察官はアメリカのキーナン、裁判長はオーストラリアのウェップ。アメリカのブレークニーが弁護人となった。インドのパル判事は全員無罪と主張し、オランダのレーリンク判事はこの裁判を平和探求の手掛かりにとの意見を出した。


「開戦責任」を追及するための措置を説明せよ。

連合国が,戦争指導に関与した政治家・軍人などをA級戦犯として「平和に対する罪」を適用し,極東国際軍事裁判で裁いた。その結果,東条英機・広田弘毅らが死刑に処せられた。


「刑事犯罪」を追及するための措置を説明せよ。

連合国側の各国が,俘虜や一般人に対する殺害・虐待など通常の戦争犯罪をB・C級戦犯としてアジア・太平洋各地で開廷した軍事裁判で裁いた。


極東国際軍事裁判の目的及び問題点を説明せよ。

裁判の形で証拠を集め、日本の侵略の実相を国民の前に明らかにする意味があった。事後法の問題や原爆投下など連合国側の行為が不問にされた点など「勝者の裁き」の側面、天皇の責任が問われなかったこと、証拠がありながら 731 部隊などの細菌戦が政治的判断から法廷に持ち出されなかったことなどの問題点があり、冷戦の進行と共に、岸信介ら残りのA級戦犯たちは裁判にかけられることもなく釈放された。

公判中の法廷内 引用元:映画『東京裁判』(1) | 普通人の映画体験―虚心な出会い (ameblo.jp)


翼賛政治会関係者への責任追及とその変遷を説明せよ。

戦後最初の総選挙に際してGHQにより公職追放された。しかし、朝鮮戦争勃発のころから追放解除が進み,講和条約発効にともなって全員解除された。


公職追放を説明せよ。

GHQの指令により職業軍人,政財界や言論・教育界などの指導者が公職を罷免・追放された。しかし,朝鮮戦争勃発を契機として追放解除が進んだ。


宗教・思想の自由化と基本的人権の尊重を説明せよ。

●宗教面●…神道指令で国家神道が解体、国家と神道の分離,日本国憲法で信教の自由と政教分離の原則が規定された。

●思想面●…治安維持法や特別高等警察など圧制的な諸制度が撤廃され。日本国憲法により基本的人権の尊重が明記された。


直接的な非軍事化政策を説明せよ。

陸海軍を解体し、日本国憲法で戦争放棄・戦力不保持を規定し、軍需工場の設備を撤去し、アジア諸国に供与する現物賠償を行い、東京裁判や公職追放も行った。

アジア諸国に供与する現物賠償の内容と日本経済への意義を説明せよ。

鉄道や道路、製鉄所などの建設、技術・生産物の給与など。日本企業が外国企業と競合せずに受注し、生産物と役務の形をとったため、日本の経済復興にも寄与し、さらに東南アジアへの経済進出を促進させる契機になった。


日本国憲法制定を受けて改正された法律を説明せよ。

●民法改正●…戸主の家族に対する婚姻の同意権や居住指定権などの権限,家督相続制度が廃止され,財産の均等相続が規定されるなど、戸主権の強い家制度の解体により男女同権・夫婦中心の家族制度が実現した。

●刑法改正●…皇室を対象とした大逆罪・不敬罪姦通罪が削除された


明治憲法下での女性のおかれた差別的地位排除の改革を説明せよ。

衆議院議員選挙法が改正されて婦人参政権が実現し、民法改正も行われた。


明治憲法と日本国憲法における国民の権利の相違を説明せよ。

明治憲法では法律の範囲内に制限されていたが、日本国憲法においては永久不可侵の基本的人権になった。

教育の民主化に基づく改革を説明せよ。

教育勅語の廃止、軍国主義的教材排除、修身・日本歴史・地理の授業停止教職追放などが行われた。

「教育基本法」により個人の尊厳の尊重を理念に掲げ,教育の機会均等や男女共学の原則,義務教育9年制を規定し、「学校教育法」により旧来の複線型の教育体系に代わって六・三・三・四制による単線型の教育体系が採用された。各地方自治体ごとに公選による教育委員会が設置,旧来の文部省による中央集権的な教育行政を排し,教育行政の地方分権化が図られた。


アメリカ教育使節団の勧告内容を説明せよ。

都道府県と市町村に公選の教育委員会を置き、義務教育で六・三制をとることなど。

戦後の教科書の作成方法の変化を説明せよ。

国家が作成する国定教科書制度から、学習指導要領に基づき、民間で作成されたものを文部省が検定する検定教科書制度に変更された。


※最後の国定歴史教科書→「くにのあゆみ」
その後→「あたらしい憲法のはなし」・「民主主義」

「あたらしい憲法のはなし」の挿絵 引用元:教職員組合 のほほん活動日誌:  憲法記念日 「あたらしい憲法のはなし」 (kazelog.jp)

「あたらしい憲法のはなし」全文:文部省 あたらしい憲法のはなし (aozora.gr.jp)


政治上,教育上,宗教上などの「国体観念」の否定を説明せよ。

治安維持法の廃止、天皇人間宣言,日本国憲法での主権在民の明文化、天皇が教育理念を示し、忠君愛国を理念とした教育勅語の失効,神道指令による国家神道の解体など。


五大改革指令の内容を説明せよ。

婦人の解放、労働組合の結成助長、教育制度の自由主義的改革、秘密警察の廃止、経済機構の民主化が内容である。婦人と労働組合の改革は、衆議院議員選挙法の改正による女性参政権の付与や、労働三法の制定などによって実現した。


※労働三法→労働組合法・労働基準法(労働基準監督署)・労働関係調整法

寺崎英成の職、著書、したこと(戦後)を説明せよ。

「昭和天皇独白録」。宮内省御用係としての天皇の通訳官・アドバイザーであり、天皇が米軍の沖縄占領の長期化を希望するとのメッセージを GHQ に伝えた。


地方自治法(1947年)の内容を説明せよ。

「地方自治」の本旨に基づき,地方住民の参政権を保障し,地方団体の自治権の育成を目的とした。地方は国から独立した法人格であることを定め、都道府県を市町村と同格の地方公共団体とし,知事,市町村長の公選,地方議会の権限の拡大,住民の直接請求権など,団体自治および住民自治を拡充し,中央政府の官僚統制を廃して技術的な助言,勧告にとどめるなど新しい地方制度を打ち立てた。

ポツダム勅令の説明と、その具体例を説明せよ。

この勅令により、最高司令官の要求に関わる事項は、日本国憲法制定前には「勅令・閣令・省令」の形で、制定後は「政令・府令・省令」の形をとり、この勅令は憲法を超える拘束力を持つことになった。ポツダム政令としての政令 201 号がある。


戦後につくられた社会科の特徴を説明せよ。

民主主義社会の構成員育成のため、科学的認識に立脚した総合教科である。

片山哲内閣を説明せよ。

日本社会党委員長の片山哲を首班とする日本社会党、民主党、国民協同党の三党連立中道内閣でマッカーサーも支持した。日本国憲法施行に伴い、民法、刑法をはじめ諸法令の整備を行い、また内務省の解体、警察制度の改革、労働省の設置などの改革を進め、新物価体系による労働者への負担増加、復興金融金庫融資による傾斜生産方式をとった。唯一の社会主義的政策であった炭鉱国家管理は民主党や石炭鉱業会などの抵抗によって大きく後退した。平野力三農相罷免問題により社会党左派が党内野党化して予算案に反対し、総辞職に至った。

芦田均内閣を説明せよ。

民主党総裁の芦田均を首班とする民主党、日本社会党、国民協同党の三党連立中道内閣で、外資導入による経済再建を政策の基本とした。全逓を中心とする三月闘争をGHQの力で抑え、マッカーサー書簡を受けて公務員の争議権を奪う政令201号を公布するなど、労働攻勢を鎮める政策をとった。この間、民主、社会両党とも離党者が続出し、昭電疑獄事件で西尾末広ら閣僚が逮捕され総辞職した。


昭和電工事件を簡潔に説明せよ。

食糧増産政策に関する復興金融金庫と肥料メーカー昭和電工との間の疑獄事件で、贈収賄容疑で西尾末広ら閣僚が逮捕されると芦田均内閣は総辞職した。


サンフランシスコ講和条約の締結をめぐる日本国内の論争を説明せよ。

政府はアメリカの意向である早期独立を実現するため、アメリカ主導の単独講和・アメリカ軍の駐留継続を認めた。一方で、社会党・総評などは中立堅持を掲げ,ソ連・中国を含む全面講和・アメリカヘの軍事基地提供反対を主張して対立した。


全面講和論の理論支柱となった声明・論文とその考えの支持団体を説明せよ。

平和問題談話会が岩波書店の雑誌「世界」に発表した声明・論文などを理論的支柱として、社共、労働組合等の革新勢力を中心に広範な支持を獲得した。しかし、朝鮮戦争の勃発によって、支持勢力内に分裂が生じて影響力が後退した。


社会党が衆議院の3分の1の議席の確保を重視した理由を説明せよ。

日本国憲法では憲法改正の発議には総議員の3分の2以上の賛成が必要であると規定されていた。当時の鳩山一郎内閣が自主憲法の制定を掲げており,改憲阻止のためには3分の1の議席の確保が必要だった。


※憲法擁護国民連合が社会党統一への道を開き、3分の1以上の議席獲得を支援した。


日本社会党の分裂から再統一までの経緯、また再統一の理由を説明せよ。

講和条約と日米安全保障条約の可否をめぐり、日本社会党は講和・安保条約ともに反対する左派と、安保条約のみに反対する右派に分裂した。鳩山一郎内閣が改憲・再軍備を標榜したことに危機感を抱き、再統一して改憲阻止に必要な国会の 3分の 1 の議席を確保した。


サンフランシスコ講和条約の発効から高度成長期の政治的動向を説明せよ。

鳩山日本民主党内閣は,日本国憲法をGHQによる押し付けとみなして改憲をめざし,財界の要望も背景として保守合同により自由民主党を結成して安定多数を確保した。護憲を唱える日本社会党が3分の1の議席を占めたため実現しなかった。岸内閣が安保闘争の激化を招いて総辞職すると,池田内閣以降,自民党内閣は改憲を棚上げになった。


保守合同時の国家的独立のための課題を説明せよ。

憲法改正。日米安保条約改定。GHQ草案に基づいて作成された日本国憲法を押しつけ憲法ととらえ,自主憲法の制定を目指し、片務的な日米安保条約による米軍の駐留を脱し,対等な日米関係の形成を試みた。


55 年体制においての自民党・社会党の考え方の相違を説明せよ。

●自民党●…アメリカ依存の安全保障の下で、9 条を中心とする日本国憲法の改正や防衛力増強を目指した。

●社会党●…憲法擁護と非武装中立を主張した。

非武装中立論を簡潔に説明せよ。

日本の再軍備・日米安全保障条約に反対し、米ソ両陣営ともいかなる軍事的関係をもたず、第三勢力を軸とした非同盟中立を唱える立場である。

占領目的阻害行為処罰令=政令 325 号を簡潔に説明せよ。

連合国の日本占領管理を阻害する行為の処罰を定めた政令で、朝鮮戦争下の日本共産党弾圧に使われた。


吉田内閣の逆コースを説明せよ。

血のメーデー事件を契機にそれまでの団体等規正令(軍国主義的、暴力主義的団体の結成を禁じたポツダム政令)や政令325号にかわるものとして破壊活動防止法が成立・公布され、政府に「暴力主義的破壊活動」を行う団体を規制・解散させる権限を与え、公安調査庁が設立された。「自衛のための戦力は合憲」と答弁、警察予備隊を増強し、海上警備隊を加えて保安隊を創設し、「相互防衛援助協定=MDA 協定」による軍事援助を受けて自衛隊を発足させ、再軍備に踏み切った


※MSA 協定→(MDA 協定・農産物購入協定・経済措置協定・投資保証協定)の総称

鳩山内閣と吉田内閣の相違点と前者の政策の特徴を説明せよ。

●鳩山内閣●…戦前期に政党政治家であった者を閣僚に多数登用、吉田内閣…官僚出身者を多数登用した。

●鳩山内閣●…吉田路線との差異を出すためもあり、中国・ソ連との国交回復と再軍備を意図する憲法改正の意向を示し、アメリカに対しては一定の距離をおいた自主外交路線をとった。


鳩山一郎内閣の逆コースを説明せよ。

教育委員会法を改正し、委員選出を公選制から自治体による任命制に変更した。また、防衛力増強のため国防会議を発足させ、憲法改正を目的に憲法調査会を設置した。


新生活運動を簡潔に説明せよ。

鳩山首相が提唱した,みずからの創意と良識による日常生活向上運動で、より民主的,合理的,文化的な生活を実現することが目的とされた。後にはコミュニティーづくりや生活学校などの地域住民の主体的運動形式の方向に重点がおかれた。


教育二法の前提となる、政府による当時の教育現場の状況認識を説明せよ。

政府は、一部の教員が特定の政党や政治思想を押し付ける偏向教育を行っていると認識し、教員の政治的中立を守るという名目で、その政治活動を禁じるなどの制限を加えた。


うれうべき教科書問題を簡潔に説明せよ。

社会科教科書の内容が「偏向教育」として批判され、政治問題化していった。制度の整備充実が図られ、実質的に検定制度は厳しくなった。


日本政府が 1954 年~1958 年に実施した教育統制に関する政策を説明せよ。

日本政府は、池田=ロバートソン会談において、愛国心と自衛の精神を成長させる教育を行うことに合意した(再軍備をするため)。教員の政治活動と政治教育を禁じる教育二法を制定し、新教育委員会法で、教育委員会公選制を地方自治体の首長による任命制に変更した。日教組の活動抑制を目的に教員の勤務評定の全国実施し、再軍備を進めるための教育の中央集権化及び文部省による教育の国家統制・主導権復活を図った。


原子力基本法(1955 年)を簡潔に説明せよ 。

日本の原子力の研究,開発,利用は平和目的のみに限り、「民主・自主・公開」の三つの原則に基づいて進められることを明記した。


自治体警察が消滅した理由を説明せよ。

旧警察法による自治体警察は中央の国家権力から何らの指揮も受けず、経費は自治体が負担していたため、弱小自治体の財政負担が大きかったこと、広域犯罪に対処することが難しいこと、暴力団との癒着、また占領政策の転換により政府も警察権の一元化を図っていたことなどがあげられる。新警察法の制定によって自治体警察は消滅。国家地方警察と自治体警察は廃止され、警察庁指揮下の都道府県警察からなる国家警察に一本化された。


造船疑獄事件を簡潔に説明せよ。

計画造船による融資割当などに絡む海運・造船業界と与党自由党との贈収賄事件。犬養健法相の指揮権発動により捜査は打ち切られ、佐藤栄作の逮捕はおさえられた。第五次吉田内閣は倒壊。


1960年代に自民党が長期安定政権を維持できた理由を説明せよ。

自民党の池田勇人内閣が革新勢力との対決姿勢から「寛容と忍耐」に転じ、経済成長政策を採用し、所得倍増を唱えて国民の関心を高度経済成長の推進へと向けさせ、続く佐藤栄作内閣も高度経済成長に支えられた。また、改憲が遠のくと日本社会党は長期低落傾向となり、 都市では無党派層が増え、中選挙区制により小政党も議席を得られたことなども背景としながら、 創価学会を支持母体とする中道政党として1964年に公明党が結成されるなど野党の多党化もあって票割れが起こり、一本化されていた保守系政党の自民党は相対的優位を定着させて安定した長期政権を維持できた。


1960 年~1970 年代の政党の多党化を説明せよ。

60 年代には安保闘争の方針をめぐり、社会党から脱党した西尾末広ら右派が民主社会党を結成し、新たに公明党も結成された。

70 年代には社会党を離党した田英夫らが社会民主連合を結成し、さらに河野洋平らが政治倫理をめぐり自由民主党を離党し新自由クラブを結成した。


多党化が、60 年~70 年代にかけて進んだ理由を説明せよ。


改憲が遠のくと社会党は長期低落傾向になり、都市では無党派層が増え、中選挙区制により小政党も議席を得られた。


岸内閣の諸政策を説明せよ。

防衛力整備計画を確定し、日教組抑圧を図って教員の勤務評定を実施した。治安強化のための警職法改正案は広範な反発を受け廃案となった。一方、「日米新時代」を唱え、新安保条約の批准を衆議院で強行採決したので、安保闘争は一層高揚したが、参議院の議決を経ず自然承認させた。

※日教組は安保反対運動に合流して勤評反対の全国統一闘争を組織した。


警察官職務執行法改正について説明せよ。

治安強化を目的に警察官の権限を強化する改正案だったが、革新勢力や世論の反対が高揚し、国会では審議未了のまま廃案となった。


安保闘争が高揚した理由を説明せよ。

安保闘争は当初,アメリカ主導のもとで日米間の軍事的・経済的な提携関係が強化されることに反発する革新勢力を中心として展開した。新条約の内容はアメリカのアジア軍事戦略に日本を組み込むものだったため,アメリカの主導する戦争に日本が巻き込まれる危険性があると懸念され,野党などによる反対運動が高まった。その後、岸内閣が衆議院で条約批准を強行採決したため,議会制民主主義擁護の運動へと性格を変化させ,一般市民も参加しながら高揚した。

国会を取り囲んだデモ隊 引用元:1960 Protests against the United States-Japan Security Treaty 07 – 安保闘争 – Wikipedia


U2 型機撃墜事件…1960年に、アメリカの偵察機であるU2型機がソ連領空をスパイ飛行して侵犯した際,ソ連がこれを撃墜した事件

樺美智子事件…東大生の樺美智子が、全学連主流派の国会構内抗議集会において警官隊との衝突の中で死亡。

安保改定阻止国民会議


岸内閣時の外交三原則と、その実情を説明せよ。

「国際連合中心・自由主義諸国との協調・アジアの一員としての立場の堅持」の三原則。現実の日本外交は、これと完全に一致することはなく、アメリカの意向に配慮する傾向が強かった。安保改定も、より対等な関係を築くという狙いとは裏腹に、反共の防波堤としての地位を日本が引き受け、三原則のうち第二原則に傾斜する日本外交の特徴を鮮明にした。

●「アジアの一員としての立場の堅持」…日韓基本条約や日中共同声明により韓国・中国との関係回復に努めたり、アジア諸国への経済協力を積極的に行ったりしてきたが、安保改定について、日米防衛協力関係の強化は、中国などに対して軍事的な面での懸念を抱かせることになった。

●「自由主義諸国との協調」…押し進めることで、ソ連をはじめとする東側諸国との対立を、従来以上に深めることになった。

旧安保条約と新安保条約を比較せよ 。

●旧安保条約●…米軍駐留を規定したが、米軍の日本防衛義務が明記されない片務的条約、日本国内での内乱に対するアメリカ軍の出動条項や第三国への基地貸与禁止条項が盛り込まれており,「日本の自主性」が確保されなかった


●新安保条約●…米軍の日本防衛義務も明記され双務的となり内乱条項も削除されたが、どちらかの国への武力攻撃への共同行動が定められるなど事実上の軍事同盟であり、日本の防衛力増強も義務づけられ、事前協議制・経済協力も規定された。

農業基本法の内容や目的を説明せよ.

農工間格差の是正を目的に,零細農家の離農を促進するとともに,経営規模が大きく生産性の高い自立経営農家の育成をめざした。また、農業構造改善事業、付加価値性の高い農作物に作付け転換を進める農業生産の選択的拡大などの政策を進める基本法農政が行われた。


1960年代後半の米の生産過剰の原因となった政府の食糧政策を説明せよ。

所得格差是正や農家の生産費と所得補償を目的とした生産者米価引き上げは、消費者米価を上回る逆ザヤであった。しかし、農協や自民党の圧力でさらに引き上げられ、米の増産は促進された。食糧管理特別会計が大幅な赤字となったので、米の作付けを制限する減反などの生産調整政策がとられた。


60 年代の農業政策の 2 つの柱を説明せよ。

付加価値性の高い農産物へ作付転換を促す選択的拡大。離農による農家労働力の流出を前提とした,構造改善事業を通じた機械化・施設化の進展と自立経営の確立。


新食糧法(1995 年)を簡潔に説明せよ。

食糧管理法の廃止に伴い、コメの生産・流通・販売を自由化し、強制減反を選択的減反とし、従来の自主流通米を基本とし、計画外流通米を合法化した。これにより米は、政府が計画的に生産・流通させる計画流通米としての自主流通米、販売ルートが自由な計画外流通米の2種となった。2004 年に新食糧法が改正され、自主流通米と計画外流通米の区別をなくし、民間流通米に一本化された。


食糧・農業・農村基本法(1999 年)=新農業基本法を簡潔に説明せよ。

農業の機能として、食料の安定供給確保、農業の持続的発展、農村振興以外にも自然環境の保全などの多面的な機能を明示した。


池田内閣による岸内閣時代の政治からの転換を説明せよ。

「寛容と忍耐」を掲げて野党との摩擦を避ける一方,「国民所得倍増計画」を掲げ,野党との争点を経済成長へと転じた。

1970年代後半に自民党の議席数が半数近くまで落ち込んで保革伯仲が生じた社会的背景を説明せよ。

都市化の進行や産業構造の変化などを背景として、地縁関係や労組、農業団体などを基盤にした政党や候補者への集票システムが以前よりも機能しにくくなったなど。


政府が 1973 年に福祉元年を掲げ、社会保障制度を拡充した背景を説明せよ。

高度経済成長期に生じた各種の格差とそれへの不満が背景であった。こうした不満は社会保障の拡充を訴える革新政党への期待につながり、革新自治体の増加と国会での保革伯仲という事態に陥ったため、危機感を覚えた田中角栄内閣は比較的財政的にも余力があったこともあり、老人医療費の無料化や年金への物価スライド制導入などを次々と実現した。


三角大福を説明せよ。

佐藤栄作内閣総理大臣・自由民主党総裁の後継の座を、自民党の実力者である三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の 4 人が争ったことから、各人の名前の 1 文字を取って表した言葉である。


中曾根康弘内閣の政策とその背景、帰結も併せて述べよ。

1970年代後半には、不況対策のために赤字国債が大量に発行され、国債費が大きな財政負担であった。中曽根内閣は「戦後政治の総決算」を掲げ、日米韓の関係の緊密化や防衛費の増額(GNP 比率1%枠を突破)を図る一方、「新保守主義」の世界的潮流の中で臨調を発足させ、支出抑制や公共部門縮小による「増税なき財政再建」の方針を打ち出し、同年度から予算を切り詰めた超緊縮財政を実施し、それに基づく行政改革・税制改革・教育改革を推進した。さらに首相として初の靖国神社公式参拝を行った。

第二次内閣では電電公社・専売公社の民営化を行い、第三次内閣では国鉄の分割・民営化を実現させ、NTT、JT、JRが発足した。財政再建のための大型間接税の導入には失敗し、政権を退いた。

男女雇用機会均等法の制定の背景を説明せよ。

1975年を「国際婦人年」にすることが1972年の国連総会で決議され、以後の10年が「国連婦人の10年」とされて女子差別の撤廃が進められ、1979年の国連総会で女子差別撤廃条約が採択された。その後、日本も署名・批准をし、国内法整備の声が上がって男女雇用機会均等法が制定された。


竹下登内閣による税制改革を説明せよ。

野党や世論の反対を押し切って消費税導入を柱とする税制改革関連法案を成立させた。

リクルート事件を簡潔に説明せよ。

情報サービス会社リクルートが政界,官界,財界の要人に,子会社のリクルートコスモスの未公開株を譲渡し,贈賄罪に問われた事件。

竹下登内閣の直後の特異的な政治状況を背景とともに説明せよ。

リクルート事件の発覚と、1989年の消費税導入により、直後の参議院議員選挙で自民党が過半数割れし、衆議院と参議院の多数派が異なるねじれ国会となった。

土居たか子の功績を、「マドンナ旋風」を踏まえて説明せよ。

1986年に日本社会党委員長に就任し、日本憲政史上初の女性党首となった。結党以来最低の議席に落ち込んだ党の再建を託され、消費税導入とリクルート事件で政界がゆれる最中の 1989年の参議院議員通常選挙で,自身の人気と「マドンナ旋風」と呼ばれた女性候補者の躍進で社会党を大勝させ,参議院での与野党逆転の立役者となり、1993年の非自民の細川護煕連立内閣の成立後に憲政史上初の女性衆議院議長に就任した。


55年体制の崩壊について説明せよ。

保守長期政権下での金権政治に対する国民の不信が広がり、政界でも選挙制度改革や政界再編を目指す動きが強まった。1993年に自民党議員の一部が小選挙区制の実現を図って離党すると、直後の総選挙で自民党が大敗し、共産党を除く非自民8党派が、日本新党細川護熙を首班とする連立内閣を組織し、1955年以来続いた自由民主党一党支配が終焉した。

非自民8党派を全て記せ。

日本社会党新生党公明党日本新党。民社党。新党さきがけ。民主改革連合。社会民主連合。


細川護煕内閣の政治改革を説明せよ。

政治改革関連 4 法案を成立させ、衆議院議員選挙に中選挙区制に代えて小選挙区比例代表並立制を導入した。


55 年体制崩壊時の内閣と、それ以降の 4つの内閣を説明せよ。

日本新党の細川護熙を首班とする内閣は、非自民 8 党派の連立内閣であり、政治改革関連 4 法案を成立させた。次に新生党の羽田孜が社会党を除く少数与党内閣を組織したが短命に終わり、続いて日本社会党の村山富市が自民党を含む 社会党首班の3 党連立内閣を組織した。その後には自民党の橋本龍太郎を首相とし、のちに自民単独となるものの、発足時は村山内閣と同じく自民党・社会党・新党さきがけの連立内閣が成立し、のちにも自民党首班内閣が復活したことは「55年体制の復活」とも言われた。その後の1998年に小渕恵三内閣が、当初は自民党単独内閣として成立したものの、のちに自民党・自由党・公明党の三党連立内閣を形成し、絶対安定多数を獲得して、日米ガイドライン関連法、通信傍受法、住民基本台帳法改正などを相次いで成立させた。


橋本内閣の政策を説明せよ。

中央省庁等改革基本法による 1 府 12 省庁への再編や独立行政法人の導入を行った。日米安保共同宣言を合意し、財政構造改革法、金融ビッグバン、住専処理関連法、薬害エイズ訴訟和解、消費税の5%への移行を行った。


中央省庁改革を説明せよ。

総理府・経済企画庁・沖縄開発庁が統合されて内閣府となった。また。建設省・運輸省・国土庁・北海道開発庁を統合して国土交通省となり、郵政省・自治省・総務庁を統合して総務省が、環境庁が格上げされて環境省が発足した。


大蔵省の解体過程を説明せよ。

●金融監督庁の設置に伴い大蔵省では金融企画局が設置…民間金融機関への検査監督権限を失う。


●金融監督庁の金融庁への改組で大蔵省の金融企画局が廃止…金融制度の調査・企画・立案権限をも失う。


●大蔵省は財務省に改称…「財政・金融機関の分離」で大蔵省の所掌事務は財務省と金融庁に継承。


小渕恵三内閣の主な政策を説明せよ。

自民党・自由党・公明党の三党連立内閣により絶対安定多数を獲得し、日米新ガイドライン関連法案、国旗・国歌法、通信傍受法、改正住民基本台帳法などを成立させた。


小泉内閣の主な政策を説明せよ。

「聖域なき構造改革」を唱え,特殊法人の整理や財政支出の削減などを打ち出した。アメリカでの 9.11 事件をうけて「テロ対策特別措置法」を制定し、訪朝して「日朝平壌宣言」による国交正常化に着手した。また、イラク戦争に際しては「イラク復興支援特別措置法」を制定し,イラクに自衛隊を派遣を派遣した。また、郵政民営化関連法案を成立させた。


小泉内閣の政策とその結果を説明せよ。

小さな政府を目指す新自由主義的な政策をとり、不良債権処理の抜本的な解決を掲げると共に、財政赤字の解消と景気の浮揚を目指して大胆な民営化と規制緩和を進めた。しかし、福祉政策が後退したばかりでなく、地方経済の疲弊を招いて所得格差・地域格差が広がり、日本社会は混迷の度を深めることになった。

三位一体の改革を説明せよ。

所得税を減らして地方税を増やす税源移譲・国庫支出金の削減・地方交付税の見直し。


第一次安倍晋三内閣の主な政策を説明せよ。

戦後レジームからの脱却による「美しい国」づくりを訴え、愛国心に力点を置いて「教育基本法」を改正し、内閣に教育再生会議を設置した。また、防衛庁の省昇格を実現させ、憲法改正の法的手続きの下準備となる「憲法改正に関する国民投票法」も成立させた。テロ対策特別措置法の延長問題などの国政運営がねじれ国会の下で停滞する中、突然辞意を表明して退陣し、テロ対策特別措置法が期限切れとなったことによりインド洋での船舶に対する給油などの補給活動が一時停止された。

福田康夫内閣の政策を説明せよ。

ねじれ国会の下で国政が停滞しており、インド洋上での給油などの補給活動に限った新テロ対策特別措置法を衆議院の優越により成立するなど厳しい国会運営が続き、道路特定財源の暫定税率の復活を定めた法律案についてはみなし否決により衆議院の再可決が行われた。

※麻生太郎内閣の後の2009年の衆議院議員総選挙で、民主党を中心とする新たな連立政権が樹立されたことにより政権交代が起こり、2012年まで民主党政権が続いた。

第二次安倍晋三内閣の政策を説明せよ。

連立を組む公明党と合わせた獲得議席が過半数をしめてねじれ国会を解消させた。知る権利と衝突する恐れのある特定秘密保護法や安全保障に関する日本版NSC設置法を成立させ、従来の武器輸出三原則を見直して「防衛装備移転三原則」を策定するとともに、従来の政府見解を閣議決定により変更し、集団的自衛権の行使を容認した。また、安全保障関連法案をめぐって国会審議が混乱して戦後最長の延長国会となったものの、海外で自衛隊が他国軍を後方支援する「国際平和支援法案」、周辺事態を改称し周辺以外の地域に自衛隊を派遣する「重要影響事態法」、自衛隊が国連以外の平和維持活動や他国軍を支援するための駆けつけ警護を可能とする「PKO協力法改正案」などを含む、「安全保障関連法」が成立した。経済面では、三本の矢を内容とするアベノミクスを掲げてデフレ脱却や日本経済の再生を目指し、国家戦略特区の創設を決定して、「国際ビジネス・イノベーションの拠点」の東京圏・「医療等イノベーション拠点」の関西圏・「国際観光拠点」の沖縄県・「中山間地農業の改革拠点」の兵庫県養父市などの改革拠点などを全国各地に指定し、また産業競争力強化法も施行した。


日本政府による自衛隊の解釈改憲の内容を説明せよ。

自衛隊は、自衛のための必要最小限度の「実力」であって、憲法第 9 条がその保持を禁止している「戦力」ではないから憲法に反しないと解釈されてきた。