天保の改革

天保の改革の背景を説明せよ。

「内憂外患」の深刻化と幕藩制国家と社会の本格的な体制危機。

●内憂●…1818 年以降の積極財政への転換により、品位の劣る文政金銀への貨幣改鋳による出目に依存する政策が採られ、劣悪な貨幣の大量発行によるインフレが生じた。貨幣価値を下落させてあらゆる物価の大幅な上昇が起こり、インフレにより都市を中心にして奢侈な消費生活が活発化して農村にも波及した。このような全国的な商品生産・流通を活発化は、一方では幕藩制国家と社会の基礎である農村構造の変質、幕藩制的な市場・流通機構の解体を促進させ、幕藩制国家の崩壊を促進させた。加茂一揆大塩平八郎の乱生田万の乱など一揆・打ちこわしも激化し、物価の高騰で諸藩財政の悪化、それに対する諸藩の殖産興業・藩専売制の拡大で従来の流通のあり方を攪乱し、縁組先大名への露骨な優遇策など、不公平な幕政に対する不満とも相まって藩の自立化を促して幕府と藩との亀裂も拡大した。

●外患●…19 世紀初めの文化年間のロシアとの蝦夷地での紛争や、フェートン号事件、相次ぐ外国商船の渡来、イギリスやアメリカの捕鯨船の接岸など、頻繁な対外的事件の発生など欧米資本主義列強が進出した。モリソン号事件もあった。また、アヘン戦争で清がイギリスに劣勢とする情報も伝わった。貧弱な海防体制が背景にあった。

水野忠邦首都大学東京図書情報センター所蔵水野家文書の一つ)引用元:Wikipedia


天保の改革の経済政策を説明せよ。

倹約令を発して商品・貨幣経済を抑制し,旗本や御家人の生計状況改善のために札差からの借金を無利息・年賦払いで返済した。物価騰貴が株仲間の流通独占によるものと誤って判断して株仲間の解散を命じ,物価の引下げをはかったものの失敗した。(実際には文政以来続けられた品位の劣る貨幣の大量改鋳や、生産地から大坂に商品が届く前に下関や瀬戸内海沿岸のほかの場所で売買されたり、廻船業者が地方の商人と結んで江戸の仲間外商人や江戸以外へ直接に運んだりしたことを原因とする、従来の大阪市場への集荷と株仲間の輸送による商品流通の基本構造の動揺が原因)


旧里帰農令と人返しの法の違いを説明せよ。

●旧里帰農令●…都市流入者に資金を与えて農村に帰ることを奨励したもの。

●人返しの法●…江戸で人別改を実施(長年江戸に住み、一家を構えている者以外に帰郷を命じる)したうえで貧民の帰郷を強制し、合わせて無宿人や牢人も江戸から追放処分としたもの。

※天保の改革では出稼ぎが領主の許可制になる。


天保の改革時の印旛沼の開拓の目的を説明せよ。

モリソン号事件など列強の接近が相次ぐ中で、江戸の防衛体制整備が不可欠となった。外国船が、江戸湾に入る廻船を妨害し、物資が江戸に入らなくなる事態に備え、利根川・印旛沼などを経由して江戸とつなぐ輸送路の確保を図った。

天保の改革の御料所改革を説明せよ。

年貢増徴を目的とする改革で、代官らに対して土地・収穫高の再調査を命じたが、水野の失脚により中止した。


上知令を出した、財政的・対外的な事情とその帰結を説明せよ。

比較的豊かで年貢収入の多い江戸・大坂周辺を取り上げ、年貢収入の劣る代地を与えることによって財政収入を増やし、また幕府にとって政治的・軍事的に重要な江戸・大坂周辺を直轄することによってこの地域の支配を強化し、外国船の接近に伴う混乱を抑え、さらに海岸防備のための人足として百姓身分を円滑に動員することで対外的危機への対処も図ろうとした。江戸・大坂周辺の大名や旗本の支配地合わせて約50万石を直轄地にしようとしたが、諸大名や旗本が強く反発したため実施できなかった。


三方領知替えの内容とその帰結を説明せよ。

川越藩松平家が、相模の海防などに起因する財政窮乏を打開するため、大御所徳川家斉の子を養子にもらったという有利な条件を利用して豊かな地への転封を画策した。しかし、庄内藩領民は松平家の入封を嫌い、酒井家がとどまることを求めて老中に直接訴えたり、仙台藩やその他の藩に嘆願するなど激しい転封阻止運動を展開し、将軍家慶が水野忠邦の強い反対を押し切って中止させた。これは、将軍の権力と権威の低下を象徴した


※武蔵国川越藩松平家→出羽国庄内藩酒井家→越後国長岡藩牧野家→武蔵国川越藩松平家


天保の飢饉への対処を説明せよ。

七分積金により町会所が備蓄した囲米の放出により、かろうじて騒動の発生を防ぐことが出来た。

天保の改革の中の対外政策を説明せよ。

異国船打払令を緩和して天保の薪水給与令を出す一方、諸大名に海岸防備の強化と大砲の用意を命じた。また、江戸に物資が入らなくなる事態に対処するために印旛沼掘割工事に着手し、対外防備の強化を図るために上知令を出し、高島秋帆に西洋砲術の演習を行わせて軍事力の増強を図り、寛政の改革で処罰された林子平を赦免して対外的危機への対応策を進め、オランダ商館長に蒸気船と機関車の輸入を打診した。


天保の改革の上記以外を説明せよ。

風俗取締令(奢侈禁止令など)を出し、江戸三座の場末の浅草への移転寄席の取りつぶしなどの娯楽の規制を行い、役者が市中を歩くときは編笠をかぶらせた。また、出版統制令によりすべての出版物を幕府が検閲し、幕府に不都合な書物を取り締まるようにし、錦絵を禁止し、風俗に悪影響を与えるとして人情本作者の為永春水合巻作者の柳亭種彦の処罰などの出版を規制した。また。将軍権威の再強化策としての日光社参を行った。

天保の改革の挫折を説明せよ。

江戸城普請上納金の疑惑や藩専売禁止令、上知令などで御三家や諸藩と対立し、また厳しい風俗取り締まりのため人心が離れた。